「テレビ「孤独のグルメ」みてます?面白いですよ。多分好きだと思いますよ。」
と言われ、思い出したように、
シーズン2の残りの数回を見たのだけれど、完全にハマった。
ちょうど連続再放送をお正月にやっていたので、
録画して見ていたのだけれど。
あれはなかなか自分好みの作品で・・・
いや、ただ単に「飯を食らう」だけの話で、
何かそこにストーリーがある訳でもないのだけれど、なんだか面白い。
でも良く考えてみると、たとえば他人のブログとか、
ツイッターとか、FBとか。
全く知らない他人様の生活の「○○食べましたー」とか「○○いきましたー」などを
ついつい見てしまう感覚と似ているのじゃないかと思う。
私だって、ツイッターのフォロワーさんで、
毎日同じ缶チューハイを飲んでる写真がアップされると、
「ああこの人も今日仕事をちゃんと終えて、プシュっとタイムなんだな」とか
毎日毎晩餃子を食べてる人を見ると、「今日も安定の餃子か」と思ったりして、
なんだか他人ごとだけれど、
「今日もこの人達は、普通に1日を終えて家でご飯なんだな」と安心してしまうのだ。
人の人生なんて、そんなにドラマチックなことが毎日展開される訳でもなく、
どちらかというと、平凡な日常の積み重ねで、
その象徴が「普通の食事」なんじゃないのかと思う。
ある意味、普通に食べている毎食というのは。
「奇跡的に生かさせてもらって、当たり前のように食事が取れる」
という、非日常な出来事に対して、それを日常と認識しようとしている、
現代の人間の行動の一つなのかもしれない。
だから、人は、赤の他人の「ただ飯を食らう」というシチュエーションに、
ドラマ性などなくても引きつけられるんだろうね。
誰もが共感しえる行為だから。
特に「孤独のグルメ」は酒を飲む訳でもなく、高価な店に行く訳でもなく、
変なうんちくもなく、ただ「普通に美味い」と感じて終わるってのが良い。
ここは
「え!?こんな仕事っぷりで、BMW買えるほどどうやって稼いでるの!?」
とか
「一人で仕事してるのにこんなもっさりした営業って有り?」
とか、
「一食に対して食べ過ぎでしょそれって!」とか、
「個人で輸入雑貨商の割には、それっぽくない!」とか
突っ込みどころは満載なものの、
配役の松重さんがかなり良い感じで、そんな突っ込みは忘れさせてくれるほど。
こういうドラマや映画って、好みがあって、嫌いな人は嫌いんだよね。
「何が面白いの?」とか聞かれても、もうそうなると
「いやーもう好みが違うから、そういうこと聞かないでよ」って感じ。
「かもめ食堂」とか「めがね」のオッサン版が「孤独のグルメ」
だね。
私も一人で仕事をしていて、色々なところに出向くこともあるので、
孤独のグルメの主人公じゃないけれど、
出先や出張先で「今日は何を食べるかな」っていう楽しみがあるのは確か。
好きなものを好きなだけ、誰に気を使う訳でもなく、一気にたべる。
ただ、やっぱり「誰かと一緒に食べる食事」が一番美味いんだと思う。
食事が美味しければ美味しいほど、誰かとその美味しさは共有したいからね。
昨年末、知人夫婦と一緒に、
大好きなイタリアン行ってきました。相変わらず美味しかったです。
やっぱり好きな友人知人と一緒の食事は良いですね。