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2012年8月3日金曜日

リアリティと曖昧さと。

久々に映画レビュー。


もう過去に何度も見た「髪結いの亭主」
好きな映画をあげろと言われたら、必ず入れる作品なのだけれども、
先日WOWOWで放送していたので、録画して久々に鑑賞。

この映画を知っている人は、突っ込みどころ満載なことはわかっていると思う。

普通なら、通報犯罪レベルなんじゃないか?という
ヘンテコな愛の形をロマンチックな官能でくるんで、
心地よい芸術にしあげるのが「ルコント監督のマジック。」

J・ロシュフォールが、スペイン代表監督のデルボスケにやっぱり似てるな。とか、
そんなことを考えつつ、
あのまたヘンテコな音楽の魔法にかけられて、
終わった後の、何故か残る爽快感みたいなものはなんだろうかと・・・・

 ネタバレになってしまいますが、この映画は「死」を持って愛を昇華させます。
ルコント作品は、

「愛しすぎてるからこそ、それを収束させたくない。
死によってその愛を継続させる」

というものが結構多く、この作品はまさにその代表作。

私は、そもそも、日本のドラマでも、
「死」というもので物語を終わらせたり、
それを元に話が作られるものが好きじゃない。

どんなにみっともなくても、生きていてこそ、
収束していくその愛の先に、何を掴めるのか?を知るために
歩んで行く事こそが恋愛だと思う訳なのだけど。

日本や韓国のドラマや映画は、
なんでもかんでも死なせて簡潔させるのが多いと思う。

なんでも死なせりゃいいってもんじゃないのよ。

でも、自分の好きなフランス映画も、「死」によって、
その行き過ぎた愛をくるんでしまっているが多い。

ベティ・ブルーもそうだ。

映画の中で、ほんとに主人公が「愛と死」を引き換えにしてるような感覚は、
「死」によって終わらせるような単純なものじゃなく、
「愛と狂気」を「死」と引き換えてるような感じかも。

マルホランドドライブもそうだったな。

だから、ちょっと「狂ってる?リアルじゃない?」くらいの思いが無いと
物語として「死」に昇華できないできないことを
こういう映画を撮る監督達はわかっているんだと思う。


この映画は、店を持つ事になった背景や、店の客などの些細な会話とかはすごくリアル。
そして「亭主」側の子供時代もリアル。
けれど、それ以外が全て曖昧で、「亭主」は今までどうやって生きてきたのか?とか、
彼女の過去などは全くもって曖昧。

舞台になる「店」と脇役の「客」だけがリアルで、それ以外は主役はあくまでも
ファンタジーで狂気があるけれど、

その絶妙な組み合わせこそが、唐突なラストが有っても
何か妙な後味の良さみたいなものを残す要因なのかもしれない。

でもやっぱり、死んでもかまわないほど愛してしまった相手でも、
生きていてこそ、その先があるのだと思うから、
「髪結い〜」や「ベティ・ブルー」レベルの映画や作品が撮れないなら、
簡単に、「死によって愛を終わらせる」作品は撮らないで欲しいね。