この映画は色々と思い入れてみてしまいます。
何がって、色々あるのですが、まず主役がジュリー・デルピーだからというのもあります。
私の中で、好きな映画を3本上げろと言われたら、迷うことなく、
ジュリー・デルピーの出演していた「汚れた血」を上げるんです。
とにかく当時はカラックスに夢中になり、
この映画の再演をユーロスペースに5〜6回は観にいったでしょうか?
ビデオもすり切れるほどみて、カラックスに関しての本などは、
些細な雑誌でも買いまくり、この映画はサントラもなかったので、
挿入曲が入っているCDを全て買って、留守電の音もマネしようとしたほどです。
それほど、カラックスに傾倒していました。
その「汚れた血」の中で「バイクに乗った天使」と称された、10代のジュリーが出ていました。
それはもうホントに天使のような透き通る肌に人形のような金髪。
世の中にこんな綺麗なカワイイ子が居るのだと、見入ってしまったのが彼女です。
そんな彼女は、この「ビフォア〜」シリーズで、見た目も成長していきます。
この「ビフォアミッドナイト」では、2人の子持ち。ロマンチックな出会いを経て、
今は、夫に不満たらたらの「こういう悩みは万国共通」という想いを抱え、
しかも「もう自分はオバちゃんなのよ」「今の私に出会っても好きになるの?」という
半ば自虐のひねくれたアラフォーとなっていました。
私は今でも、多分一生のうちで、好きな映画ベスト3をあげろと言われたら、
やはり「汚れた血」を入れると思います。
けれど、昨年、そのカラックスの新作である「ホーリーモータース」を観て、
色々と考えました。
カラックスの作品は、ホントに素晴らしいのだけれども、全てが破滅に向かっていく映画なのです。
(ポンヌフはスポンサーの意向でハッピーエンド?にしたらしいのだけれど、
詩的な台詞回しや、カメラワーク、粒子の粗い映像。ストーリー。
全てが素晴らしくて入れこんでしまうのだけれども、
「破滅」に向かうバッドエンドストーリーなのです。
しかし、長年の沈黙を破って発表した新作のホーリーモータースは、観ているこちらが
ほのぼのするような終わり。
エンターテイメント性があって
それでいてカラックスの素晴らしさはそのまま残していた映画になっていたと思います。
ホーリーモータースの中で、ラストに向かう中、
カラックスは劇中のとある登場人物を消去します。
それは20年前の彼の思い(恋愛)とかけているのかと思いましたが、
おそらく、破滅に向かう作品ばかり作っていた、昔の自分自身を消去したかったのではないかと感じました。
破滅に向かう映画に傾倒している人間が、
リアルな世界でハッピーエンドの生活を送れるはずがありません。
リアルな世界でのアンハッピーや破滅はもうお腹いっぱい。
そこから抜け出さないと、リアルなハッピーは絶対に味わうことができないんだと、
昨年のホーリーモータースは教えてくれたような気がします。
そんな、カラックスの新作を素晴らしく思いました。
そして、「バイクに乗った天使」として「破滅に向かっていたジュリー」はもう居らず、
家庭や夫への不満をぶつけるアラフォーの普通の女。として演じた、
この「ビフォアミッドナイト」は、アンハッピーに傾倒していた人間への、
リアルなハッピーへの道案内のような映画なのではないかと思うのです。
ビフォア〜シリーズで、ジュリーが演じていた役を、色々な意味で自分に重ね合わせてみていました。
自分にも「ビフォアミッドナイト」のような、リアルな幸せの物語を期待しても良いのだろうか?と。